die
死にたい とか、逆に 生きたい とか、そういうことを冗談ではなく本気で思ったことはほとんどないのだけど、
このまま消えてしまえればいいのに、と思った。
生きるのがめんどくさいけど、死ぬのもめんどくさい、まさにそんな感じ。すこし話がズレるけど、死んだら無になるなんて誰が決めたことでもないでしょ。生きてること以上に 死後の世界のほうが辛いかもしれないのだから、そう簡単に死ぬわけにはいきませんよ。どんなに生きるのが辛くなっても よく知ってるこの世界で生きていることのほうが、死ぬという未知よりかマシじゃないか……とは昔から思ってる。…こんな重たい話がしたいわけじゃないんだ。
どんなに、頑張っても頑張っても、底辺なことに変わりはない、というのは なかなかしんどいもので。
何度やっても学べなくてまた同じ失敗をしてしまった。
くだらない。
行きたいイベントに行ける方法を考えてるうちに家で開演時間を迎えた。そんな些細なことだった。
パソコン以外の家電製品の電源をすべてオフにして、なにも考えない 考え事をした。うしろも、いまも、さきも、真っ暗だと思った。パソコンの明かりだけがつく暗い部屋はわりと落ち着くと思った。
考えることに飽きた頃、パソコンで 雑誌の読者投稿のコーナーに応募した。それが約2ヶ月後、ありがたいことに掲載された。掲載していただいたソレを極める道に進もうとしたが、わりとすぐに断念した。
きょうも知らない誰かが亡くなったらしい。人の死はいつ訪れるか分からないものだなと思った。一生懸命に勉強をしている受験生が、合格していずれ就職して、頑張って仕事をして、貯まったお金で娯楽を楽しみ、そして死んでいくのと 受験生の段階で死んでしまうのとでは、可哀想の度合いが違うなぁだなんて思ってしまった。
ひょっとしたら自分も あした 死んでしまうかもしれない。未来に辿り着けずに死んでいくなら、せめて、好きなものを存分に好んだあとに死にたいなと思った。
どうせ死ぬなら、キライなあの人に気に入られる必要もないし、まわりに合わせてレールに乗る必要もないし、こない老後のために金を蓄える必要もないし、いま やりたいことだけをやって 好きなものが中心の生活をしたっていいじゃないか、と半ば投げやりな気持ちで思った。
そんなことを思って過ごしたのが この2年間だった。
大好きなバンドのライブへ行った。
このまま消えてしまえればいいのに、と思った あの日とおなじ日にちだった。ライブはすごく楽しかったし、私も当たり前のように幸せだった。
ライブのなかで、来年の嬉しい予定が発表された。来年がとても楽しみだからそれまで、それに行けるように、頑張ろうと当たり前のように 軽い気持ちで 思った。好きなもののために頑張るのって楽しい。
好き、ってとても偉大だ。
べつに何のオチがある話でもないのだけど、同じ日にちなのに全然ちがう1日だったなぁ、と。すっかり、過去、の話だなぁと懐かしくなったので書いてみました。おわり。