タカラバコ

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わたしの 好きな うた

好きなうた ほど、つくってる人のことを知りたくなかったりします。

この音を鳴らしているのはどんな人なのだろう とか、どんな経験をしたらこんな言葉がうまれるのだろう とか、好きなうたに 興味がわいて よく知ることは とても楽しいのだけど、そのうたが大好きだからこそ、つくっているひとの人柄を知ることって ちょっと恐いです。

幻想的だとか繊細だとか儚いだとか、そんなフワフワしたワードがよく似合う曲が好きです。だからこそ、中の人のクッキリとした現実や 生々しい言葉はあまり見たいものではないなぁ、と。

色で見えたり、耳で判断できたり、感触を確かめられたり、そんな ありありとした日々のなかで、色も音も見ることのできない 不確か な おんがく の存在は、たとえ どんなに痛い現実をうたったものでも、すごく、非現実的なものだと思うんです私は。

なんていうか、そんな不確かな おんがく に一番近づくことができるのがライブだと思うのだけど、うたよりも丁寧な接客をされると、あれっ私はなにをしにきたんだっけ…と思ってしまうことがたまにあります。ごめん、うたに会いにきてほしいのか、人に会いにきてほしいのか、分からないとモヤモヤする。

ネガティヴなうたを歌う人が卑屈なこと言うのは面白いけど、私が好きなうたは誰にも貶されたくないし、本人すら「飽きた」なんていう日がくる曲聴かされたくないし、気持ちがこもってないなんて自覚してる音で周りの音を汚さないでほしいし、私は、私が好きなものは つくっている本人にすら壊されたくありません!

ラブソングを聴いて ぼんやりとその曲の情景が浮かんだところに、歌詞をかいた人のホンモノの恋人の顔とか知りたくないし、イメージやキャラクターを守ることと、うたを守ることっておんなじことじゃないですか。。?

私が必死で積み上げた壁を、裏から壊されるようなきぶん。何度積み上げても その度に壊されるともう疲れちゃうなぁ。

夢を売る仕事ではないかもしれないけど、幻想のままでいてくれたっていいじゃない。


私が大好きなものには、いつでも、好きでいることを自慢に思える存在であって欲しいなぁと思うし、自慢できる程のものしか 好きになった覚えないんだけどなぁ〜〜。

あの人がうたってる曲、
じゃなくて、
あの曲をうたってる人、
でいて欲しい、ずっと。