タカラバコ

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花束

大好きなバンドが見れなくなった。好きになったばかりの頃は真っ白で儚くて幻想的で繊細で、聴いていると頭も体もふわふわしてくる感覚がたまらなく好きで、初めてライブを見てからすぐに、ライブがある限り月一回は必ずライブを見に行くようになった。

応援している間に白だったイメージは青になったり黒になったり赤になったり、美々しくなったり刺々しくなったりシューゲイザーに溶かされそうになったり重たい轟音に殺されそうになったり、私の好みとは少し離れたかもしれないと思った時期もあったけど、それでもこの6年とか7年とか常に私はこのバンドが大好きで好んで彼らの音を流す毎日が当たり前だった。

今年でた新しいアルバムはそれはもう素晴らしいもので、初めてCDを再生した時には私はこのバンドと出会うことができて本当に幸せだなあと心底思った。アルバムはリリースツアーの初日から販売が開始されたからツアーの初日は収録曲をほとんど知らずにライブを見る形となったんだけど、その中でもある一曲が始まった時に私は鳥肌が立って胸が高鳴って全身が多幸感で満たされてうまく表現できないけれどとにかく一瞬でビビビッときて一瞬でその曲の虜になってしまった。音源も音源で素晴らしいけど、とくにライブで聴くその曲が本当に圧巻で、こんな曲に出会えるなんて生きててよかったなあなんてわりとマジで思ったんだ。私はあの時の感動を一生忘れたくない。

久しぶりにちょっと遠くのライブハウスまで行って、めっちゃくちゃ良いライブを見た翌日にバンドからメンバーが半分脱退することが発表された。残り1ヶ月しかなかった。残りのライブでは懐かしい曲をたくさんやってくれたり、10曲中5曲同じ曲をやる狂ったセトリを見せられたり、哀しくて辛くて寂しくてたくさん泣いたけど、圧倒的に幸せとか感動とか楽しさのほうが大きくて、このバンドのファンになれて良かったと心から思った。バンドを続けてくれるメンバーも辞めていくメンバーもみんな、これからもずっと幸せでいてくれたらいいなあって本当に本当に思った。

アニバーサリーライブでもあった最後のライブでは、友達と一緒に花を贈った。色合いも質感もたくさん考えて、花言葉もたくさん調べて、バンドにまつわるお花でいっぱいのバンドにぴったりな、とても想いのこもった花を贈れたと思う。

最後のライブから最初のライブまでの3ヶ月間もこれまでと変わらず彼らの音楽を聴く毎日が当たり前だった。3ヶ月ぶりに大好きなライブハウスで大好きなバンドの音を目の前で浴びた時は、とても胸が高鳴ったし好きな音楽が目の前にあることがたまらなく嬉しかった。





はずだった。好きな音楽が無くならず続いてくれたことが何よりも嬉しかったはずなのに、三曲目に大好きな曲が始まったときにもう私が大好きだった音は景色は二度と見れないんだって、急に現実突きつけられたような感覚になって、それ以降はもうずっとダメだった。

メンバーが楽しそうに演奏しているのが嬉しかったし、目の前で鳴る音楽は本当に最高なのに目の前の光景があんまりにも綺麗で綺麗で、それが尚のこと苦しかった。

この日サポートミュージシャンとして出演していた3人のことは各々も、各々が過去に現在に所属していたバンドのことも、とても好きだったからメンバーが発表されたときには「これ以上のメンバーはない!」とさえ思ったのに、全然受け入れられなくて、受け入れられない自分がいるのもすごく嫌だった。とくに、向き合って演奏したり暴れたり、前のメンバーと一緒によくやっていたパフォーマンスを新しい人たちとやっているのを見るのがものすごくつらかった。それが絶賛されていたのも正直すごく嫌だった。

おんなじボーカルが歌っておんなじ楽器でおんなじ楽譜を弾いているはずなのに、私が好きだった音はもうそこにはなくて、ライブが進めば進むほど、にこにこギター弾きながら上下にリズム刻む姿とか、ベースを背負ってシンセを弾く姿とか、別に今まで特別好きだったわけでもない何気なかった光景がどんどん蘇ってきてしまって、そんなもう記憶の中にしか残っていない思い出が目の前の音にどんどん上書きされてしまいそうな感覚になるのが本当にしんどかった。新しいライブを見れば見るほど、今はまだ思い出せる大好きなあのライブの感覚をいつか思い出せなくなってしまいそうなのが本当に悲しい。ひとつでいいから映像作品、欲しかったな。

別にバンドになんの思い出も思い入れもないただのいち音楽ファンだったら、私もこの日のライブを絶賛して純粋に楽しんでいたんだろうなあ。

ライブ終盤に、一番大好きな曲が始まった時のあの全身の脱力感とジワジワ込み上げてきた嫌悪感は、もう二度と味わいたくない。ライブで聴くたび多幸感で満たされたあの感覚にはもうなれなかったし、新しいメンバーのソロパートとアレンジが加わったのも申し訳ないけどものすごくしんどかった。正式に加入することが決まったから、今後この曲を演奏するときはずっとこれなんだろうなと思うと、一番好きな曲だったけど正直ライブではもう二度と聴きたくない。こうやって好きだったはずのミュージシャンを嫌いになっていってしまいそうなのも本当に嫌だ。でも全然受け入れられない。

常に「今が一番かっこいい!」って言ってくれるバンドマンはそりゃかっこいいけど、オリジナルメンバーに「前作よりも新曲のほうが良い」とか「前よりも良いと思ってもらいたい」とか発言されるのもすごいモヤモヤしてしまう。過去は過去でファンにとっては大切で大好きな思い出なんだからそんな比較するようなことしなくてもいいのに。過去は過去、今は今でいいのになー。前作をリリースしたとき「これが遺作になっても悔いはない」って言ってたの嬉しかったなー。

久しぶりにライブ見ていいねって言ってくれた人たちに、私が大好きだった4人のライブももっともっと見て欲しかったな。本当に本当に最強だったのにな。

やっぱり続くって奇跡みたいだから、大好きな人たちには少しでも長く続いてほしいし、続く限りは少しでも多く良い夢見て欲しいなあって改めて思った。これは私の目標。



まあ全部、いらない感情を抱いてしまうめんどくさいファンのワガママなんだけど、好きなものがないと生きられないくせしてこうやってまた何かを好きになるのが怖くなってしまう。しばらくライブ見る勇気ないけど、またいつか見れる日くるかなあ。

好きな人と結ばれたとて自分の望む関係が築けるとは限らないし、望む関係が築けたとてそれがいつまで続くかなんて誰も保証できないし、見返り求めずそれでも好きでいられるのが一番幸せなんだと思っていたけど、誰かを好きになるたび裏切られて都合よく使われて傷つけられてを繰り返していたら、だんだん愛情注ぐのも信頼関係築くのも馬鹿馬鹿しくなって何にも依存できなくなった。

一度好きになったらどんな酷いことされても周りに止められても嫌いになんかなれないし。いっそ都合の良い女だって開き直ったらむしろ楽になったしヘラヘラしてたらそれなりに幸せになったけど気づいたらいつからかそういう恋愛しか出来なくなった。

どうしたって本能的に惹かれてしまうのはそういう類の男ばっかだし。一途になることもなくマメに連絡が取れるわけでもなく大事にされるわけでもないって分かってるんだけど、どっちみち傷つくなら真面目で誠実そうな奴に裏切られたときのほうがよっぽど深く傷つくし、どうせ大事にされないしどうせいつか終わるなら最初からそういうもんだって分かってたほうが余計に傷つかなくてよくて楽です。

過去ずっと窮屈に生きてきたような自分とは違って。理性とか建前より自分の欲求に素直に自由に生きてる人のほうがいつだってかっこよく見えて憧れちゃうし。なにしたって同じように老いてくのなら、相手にされるうちにとびきり好みの男で経験重ねたほうが私にとってはよっぽど有意義な気がしてならない。

常識持って真面目に生きたって好きな人が好きになってくれるわけじゃないし。どれだけ綺麗事並べだって、強く思いやれる人よりも強く心を動かせる人が勝つんだって知ってるんだ私は!他ならぬ自分だって追われれば逃げたくなるし好きになれない人のことはいくら大事にされようがどう頑張っても好きにはなれないし心動かしたもん勝ちなんだ!どうせ!

結局!結局!今好きな人が目の前から居なくなっちゃうこととか、今好きでいてこんなに楽しいのにこの気持ちが消えてしまうこととかが一番怖くって、居なくならないでいてくれるなら、勝手に愛分散してお手軽な女でいるし私は勝手に幸せになるから、ただそこに居てほしいだけなんだー。

そんな狭い世界で生きなくても出会いも別れもいっぱいあるんだよって知ったらしにたくなるほど病むこともなくなったけど、出会いも別れもお手軽になったせいで出会いを大事にするのも難しくなっちゃったね。

私はまじで一夫多妻制になればいいのにって思ってるし愚痴じゃなくて惚気なんだよね、枯れない程度に消費させてよね、自ら匂わせ嗅ぎに行くなんてナンセンスなことしないからさ。

もう曖昧や比喩に酔ったり、運命の赤い糸とか信じれるほど若くもなければ、お馴染みのよく知った感情ばかりで昔みたいに極端に気持ちが動くこともなくなったけど、それでも辞められない。

もはや本命に相手にされないのか、相手にされないから本命なのか分からないけど、ちゃんと私の本命は貴方なのに、割り切れちゃってる女もそれはそれで可愛くないんだろうなあ。

ほらねこうやってまた既読もつかなくなって逃げられれば追いたくなって隠されたら探りたくなって我慢できずにこっそり近くに趣味を作って欲求満たしてこんなの負のループだって分かってるのにもう抜け出せないんだよほんと馬鹿みたいだよね。


昔だったらこういう感情って人前では隠すべきだと思ってたけど、ペラペラ喋れるようになっちゃったのは大人になったからなんだろうか人として壊れちゃったんだろうか、もう分からん。

メモ

1、
10代の頃大好きなアイドルがいた。学生だったし、東京まで行くには片道2時間半かかったし、親の門限は厳しかったし、あとバイトをしても田舎の高校生時給ってほんっと低いし、あまり頻繁に現場に行けるわけではなかったけれど、私の青春の全てと言っても過言ではなく、憧れでもあり、ほんとうに大切な存在だった。いつもきらきらにこにこ前向きで一生懸命なところが大好きだった。

長年応援しているうちにもはや好きとか冷めるとかの次元ではなくなったけど、だんだんとキャラクターやグループの方向性が私が好きになった頃とは変わってきて、新しいおたくと私が求めてる推しは違うんだろうとか、私が好きな推しばかりでは大きくなれないんだろうとか、私が好きな推しと推しがなりたい推しも違うんだろうとか感じることが増えて、嫌いになるわけではないけどだんだんと現場には行かなくなった。

大好きだった当時のことを思い出すと今でも胸がいっぱいになるし、当時仲良かったおたくたちは今でもとても仲が良いし、あんなにも何かを好きになれてあんなにも心を揺さぶられた思い出がたくさんあることを私は今でも心底幸せに思う。テレビに出ているのを見ると今でも嬉しくなるし正直人生で一番好きだった。このグループのファンになれたことを一生誇りに思う!ずっと大好き。私の冠婚葬祭では絶対彼らの曲を流して欲しい。



2、
上のアイドルを見に音楽番組の観覧に行ったら、そこに出演していたバンドの演奏に一瞬で心を奪われてしまった。

あんなに大好きなアイドルを見に行ったはずなのに、帰りの新幹線ではバンドの曲を聴きながら家に着き、翌日にはワンコインシングルをフラゲ、翌月にはワンマンのチケットを購入、番組観覧から2週間後に東京に遊びに行ったらメンバーに遭遇したこともあった。

とくに運命だと感じてしまうのが、上のアイドルが毎年主演を務めてるオリジナル舞台が、なぜかこの年だけロックバンドの話で、劇中にも武道館が登場するこの舞台の千秋楽の日であり番組観覧からちょうど半年が経った日、実際の武道館で初ワンマンを開催したのがこのバンドだった。さすがに不思議な縁を感じざるを得ん。

最近はあんまりライブにも行ってないけど、私に新しい世界を教えてくれた人たちであり、きっとずっと聴き続けるバンドであり、武道館ワンマンのあの感動は一生忘れられないと思う。大好き。好きな人たちが変わってしまうことを悲しく思うこともあるけど、変化は振り幅だって教えてもらいました。



3、
目当てのひとたちがMCで「こんな台風の中くるなんて普通じゃない」と言うほどの台風のなか、10代最後の誕生日ひとりで向かったのは小さなライブハウスだった。それまでは数千人規模のライブハウスにしか行ったことがなく初めて地下へと続く薄暗い階段を降りたときは怖くてたまらなかったけど、それ以降、私の一番の趣味はバンドのライブに通うことになった。

それから好きなバンドはたくさん増えて、今までとくに楽しかったライブは色々思い浮かぶけど、その中でもいちばん楽しかったのが、大好きな3バンドのスリーマンツアー!

とても好きだった彼氏と別れてクソ病んでいた当時、箱に出順問い合わせて(間に合うこと確認して)仕事終わりに2時間電車乗って向かった久しぶりのライブに着く直前、大好きなスリーマンが解禁されて渋谷のどまんなかで震えた喜びはいまだに忘れられない。

その日のセットリストに組まれていた一曲を何度も何度聴いて失恋を乗り越えて、ツアー中に「この曲のおかげで失恋を乗り越えられました」ってお手紙渡したらその場で読んでくれたことも、そしたらツアーファイナルの一曲目にその曲をやってくれたことも、特大ファンサみたいでほんと嬉しかった〜!普段は絶対セトリ後半にやる曲をこの日だけ一曲目にやってくれたことも、このセトリをこのツアーで聴けたことも私にとっては本当に特別なことで絶対に忘れたくない!いつか絶対結婚報告しに行きたいし、またこのスリーマンを見れる日を期待しながら日々生きてる。ただ好きなバンドが対バンするのとは訳が違うけど、圧倒的好きなバンドベスト3。



4、
こんなに好きになった同性のアイドルは初めてだった。多分誰かのいいねかオススメかなんかでタイムラインに現れた女の子に一目惚れして以降SNSをチェックするようになったのだけど、地下アイドルの現場はどうしても私には敷居が高く、SNSを見て癒されてるだけの存在なはずだった。

それでもどうしても一度会ってみたくなりライブへ行ったら秒で沼に落ちた。沼に落ちた後も正直応援できるときに応援するというスタンスで、推しのためにむりやり時間を作るようなことはなかったけど、応援しているのが本当に幸せで楽しかった。 推しはある日突然アイドルを卒業した。多分メンバーの初めての生誕祭が終わるのを待ったらギリギリの発表になってしまったんだろう、私が現場で応援できたのはたったの4ヶ月弱だった。

最後のライブはすごかった。推しもメンバーもずっときらきらしていた、私は最後の日もうしろのほうで見れたら良いと思っていたのに出番の直前ファンの人たちが一緒に前の方へ連れて行ってくれて推しの最後の姿を最前で見ることができた、ファンの人がサイリウムもくれた、色紙にメッセージも書かせてくれた、ずっと一緒に活動してきたメンバーは泣いていたけどすぐに持ち前の歌声を披露していた、推しは泣くメンバーを見て笑顔でよしよししていた、推しもおたくも最後まで泣かずにずっとにこにこしていた、推しはほんとうに可愛かった、最後までアイドルをまっとうしていた、本当に出会えて良かったなと思う、特典会で推しは「出会えてよかったよ!」って言ってくれた。もっともっと応援したかったしクソにわか新規じゃなくて立派なおたく(?)になりたかったけど、短い間でも好きになれて応援できたことが本当に幸せだった!もっと早くライブに行けばよかったけど、推しがアイドルでいてくれるうちにライブに行くことができて本当に本当に良かった!寂しいよりずっと感動の余韻が勝ってる、ありきたりな言葉になってしまうけど、本当に良いライブが見れて嬉しかった。



整った綺麗なお顔やキラキラした部分だけ見て好きになったり、きゅんきゅん台詞にときめいたり疑似恋愛を楽しんだり、おたくとしてそれはそれで至極健全なことだと思うけど、なんていうかそういう表面上なこと以上に、パフォーマンスに感動したりプロ意識や優しさに心を揺さぶられたりファンでいることを誇りに思える人って滅多に出会えるものじゃないので出会えて本当に嬉しかった本当に特別な存在だった。


応援していて楽しかった人や夢中になった人は他にもたくさんいるけど、たまにこういう運命を感じてしまうような、人生レベルで好きになれるひととの出会いが訪れるから人生楽しいな〜〜〜!根っからのおたく気質なので、好きになられるより何かを好きでいるほうが幸せだし、常に何かを好きでいないと何も頑張れないし、過去の楽しかった思い出が前を向いていくためのいちばんの原動力な気がします!たとえファンを辞めた時に目に見える形で何も残らなくても、楽しかった思い出とファンとして出会った友達が残ればそれが何より幸せであるというか、応援していて楽しかった人はみんな他のファンの人たちも優しくて好きだったなあ。私がファンでいたことを覚えていてくれるおたくの友達がいればそれでじゅうぶんだなあ。
単純なので正直何かを好きになるのは簡単だけど、好きでいることが心底幸せで、胸が熱くなったり、好きな人の幸せを心から願えたり、表で幸せを届けてくれるならたとえ裏がどんな悪い人でもこれがすべて嘘でもなんでもいい〜〜この人のために人生がんばろ〜〜と思えるような人との出会いは本当に貴重なので出会えた思い出をずっと大事にしたい!私も色々経験を積んで、結局、滲み出る人柄や優しさや本当の人気はその人の心の綺麗さとかプロ意識の高さ真面目さがそのまま直結してるものだと学びました。好きなものがないと何も頑張れないけど生きていれば必ずまたこういう出会いは突然訪れるからこれからもつよく生きようね。何かにどきどき夢中になったりそれを好きでいることによって奇想天外な毎日になるのが好きだけどもう大人だから危ないことをするのも辞めようね。これは忘れないためのメモ書きです。

あとジャンルがバラバラのみんなを見た新木場スタジオコーストの閉館はほんとうにほんとうに悲しい。

シロップ

昔から、生きることに行き詰まると好きな街に逃避したくなることがよくある。何がしたいわけでもなく、ただただ好きな街の空気が吸いたくなるのだ。

その日ももうどうしようもなく生きてるのがしんどくなって、ひとりで部屋にこもっていたらどんどんダメになりそうだったので、とりあえず近所を散歩しようと外へ出たはずが気がついたら東京にいた。夜9時半すぎ。

疲れるまで散歩をしたりカフェに入ったり、終電間近に寄った飲み屋では知らない人たちと一緒に強めのお酒を飲んだりゲームをしたりしていたら、夜はいつの間にか明けていた。楽しかった。
帰り道にアルコールと煙草の匂いが染み付いた身体で浴びた朝日が本当に気持ち良くて、あの朝日の眩しさと共に私はこの日のことを一生忘れたくないなぁと思う。



顔や服装がタイプだとか、音楽の趣味が合うだとか、そういう上っ面なことにだけときめいて、とくに中身のない綺麗な言葉を踊らせたり、それをとくに考えもせず素敵ねって受け取ったり、
なんとなく惹かれてはなんとなくお互いに求め合うのがヒトの本能みたいで好きだった。

責任とか良心とかまるでない、欲しくなったら擦り寄って、飽きたらそっぽ向いて、また欲しくなったらまた擦り寄って、
そうやって、揺さぶられるたび締め付けられる苦しみを愉しんでは、溺れていくのがたまらなく気持ち良かった。

ねぇ、好きだよ。


たとえどこまで続いても、先へ進むこともなければ、中身が埋まることもないけれど、中身のない日々で中身のない恋に出会えたことを私は愛おしく思うのです。

ねぇ、まだ踊らせて。


アルコールと煙草まみれで迎える朝はやっぱり眩しくて、踊る言葉たちが余計にきらきらして見える。いつか終わりを迎えることを知っているから、忘れ去ってしまわぬようにまた今日も灼きつけて、くだらないことばかり気が済むまで繰り返して、めちゃくちゃになってももう止まることなど出来ないのです。


こんな文で綴れるような綺麗事ではない。

めぐすり


ゆらゆらと一緒に揺られながら窓の外を眺めていたら、ああ、前回この電車に乗った時はまだ交換したばかりのラインでお互いにこれから遊びに行く場所の話とかしてたなぁ、なんて思い出して懐かしい気持ちになった。
匂いとか気温とか景色とか、一瞬でいつかの思い出を蘇らせてくるからほんと不思議だと思う。


一緒にいても幸せにはなれないと気づいたのは随分前で、「好きになる前に気づけてよかった〜!」なんて言いながらその人のことを考えない日が1日もないまま、季節はいつの間にか3つ過ぎて、なぜか私は今、咲き始めたばかりの桜の木の下を一緒に歩いている。


楽器、お酒、カメラ、水タバコ、水族館、可愛いアイドル、オシャレ、ある種の女がいかにも好みそうな趣味を兼ね揃えていながら、
仕事ができる、料理もできる、運転もできる、女の扱いはうまい、家族と友達を大事にする、とにかく優しい、おまけに顔が良い、こんな人って存在するのね。


綺麗な目を隠す前髪、細くて高い背、流行に媚びないセンス、女の私よりも高い美意識、それと…

恋に恋するってこういうことなのだろうか。あの人を見て抱くすべての感情にわくわくして、あの人ことを考えているときのふわふわとした感覚があまりにも心地良くて。


実現する気のない口約束、無責任に発される言葉、良くも悪くも常に多情、エベレスト級に高い理想、その理想に良い意味で私が当てはまることはきっとないこと…

それすらももうときめきの材料にしかならなくて。
べつに相手に好きになってもらえなくてもいい、なんていうのはただの強がりだけれど、見返りなんて一切求めなくても好きでいるだけでものすごく幸せだった。たとえそれが言い慣れたリップサービスでも嬉しくて、騙されてるフリを続ければずっとこのままでいられるのなら、すべてが嘘でもいいと思えるくらい、深く深くまで落ちた。


人間として真っ当な思考ではないのかもしれないけれど、10代の頃から、好きな異性のタイプを聞かれては「上品なクズ」と答えまわりをドン引きさせていた女がこんな理想120点のハイスペッククズに出会えることもあるのだから、人生そんなに悪いもんじゃないと思う。こんな望み通りの人に出会える奇跡、人生で何度あるのだろうか。

もし仮に、これから出会う運命の赤い糸とやらで結ばれた相手がいるのだとしたら、こんな過去がある女嫌だろうなぁとは思うけれど。

誰かを傷つけることも傷つくこともないのならば、私は自分のこの愛おしい感情と幸せになりたい。




まるであの人が好きなアイドルのような。

きゅるきゅるに可愛い音楽を聴きながら、瞼にピンクを重ねてフリフリの洋服を着たら、なんだか無敵で可愛い女の子になれた気がして、ほんとはそんなに好きじゃないのにあの人の趣味に一人で何度も通った。
あの人の「好き」の気持ちを少しでも知りたくて、同じ気持ちになってみたくて、それが楽しくて私も好きになった。理想になるより、私は好きな人と同じことがしたい気持ちが人一倍強い。


次に会える日までに少しでも可愛くなろうと思うだけで、自分のためにはしない自分磨きも、仕事帰りにスーパーまで遠回りして自炊をすることも、知らない人とお喋りしに出かけることも、好きになった。
なんてことのない日常なのに、きっと今日もあの人の頭の中に私はいないのに、好きでいるだけで毎日がなんだか色鮮やかに見える。恋は麻薬って言葉は本当かもしれない。


ああ、こんなに好きなのに、いざ会うと喉がきゅーっとなってじょうずに喋れないし、いちばん可愛い自分で戦いたいのに、いざ目の前にすると戦闘力ゼロどころか武器握る握力すらなくなってしまう。負け!負け!今日も惨敗!


もしも私があの人だったら、こんな女に、家や職場や趣味や家族や自分の過去なんて内緒にしたいし、ましてや大事な友達に会わせるなんて絶対にしたくないのにあの人はなんでも教えてくれる。ああ、どうして、そんなに優しくしないで!そんなに秘密を教えないで!そんなに近づかないで!




もう夢からは覚めているのかもしれないけれど、寝ぼけまなこが気持ち良い。幸せな目覚めだ。
薄れていく夢の余韻にもう少し浸っていたいけれど。



あの人がいつか忘れていった目薬を返した。
2人が一緒にいたことを証するものは他になにもない。

この愛おしい気持ちもいつか忘れてしまうのかもしれないけど、いつまでも良い思い出として思い出せますように。
好きでいられてすごく幸せでした、最後にひとつお願い聞いてくれるかな。






フェイクワールドワンダーランド

フェイクワールドワンダーランド

最初の2曲はあの人が好きな曲、最後の2曲は今の私が好きな曲。

ゆめ

あのときもしも別の選択肢を選んでいたら全然違う人生だったのかなぁ、みたいなことばかりだけど、好きなものを好きだって心底思えてるときは、自分が自分として生きてる〜〜!って感じがすごいする。

幼い子供が、これはおいしいからすき!まずいからたべたくない!と好き嫌いをするのと同じように、純粋に心がわくわくしたり、ときめくときって、あぁちゃんと私は私として生きてるなんだなぁってなんだかちょっと安心する。この歳になっても自分を見失いそうになることが多々あるので、、、

子供たちの好き嫌いや味覚がみんな違うように、これは私が生まれ持った感性で、私は私として生きていること ちょ〜〜楽しんでる!難しい理由とかいらない!


ずっと、自分はダメダメな人間だから本当はもっとちゃんと生きなくちゃ、もっと頑張らなくちゃ、って心のどこかで思っていたけれど、他人の目などどうでもよいから自分のために生きたいなぁって最近は本当に思えるようになった。

大人になるにつれて、きらきらした気持ちとか ときめく瞬間って少なくなってしまうけど、わくわくする気持ちは大事にしたいし、10代の頃にときめいたことってなるべく忘れたくないなぁと思う。

私には大きな夢があるわけでなければ派手なこともできないし、何者にもなれないけれど、中学生や高校生だった頃にわくわくした気持ちと共に抱いた小さな夢はなるべく叶えたいなぁ、なんて思うようになったのは大人になったからでしょうか。

あの頃、お金がなかったり周りの環境で諦めざるを得なかったこと、今の私が叶えてあげられるなら素敵だなぁととても思う。それが例え人生においてまったく役に立たない夢でも、それを叶えることで過去の自分が報われるなら、自分にとっては大きな意味があることのような気がする……ので、10代の頃の小さな夢ひとつ叶えることを2020年の目標にします。



昔から好きなものができると依存してしまいがちだから、好きなものがなくても生きられるようになりたい!とか思っていた時期もあったけれど、私にとっては好きなものを好きでいることが一番の原動力なんだよなぁ。

これが日本人の人生の見本です!みたいな生き方ができたとしても、それを幸せだと感じられないならなんか生きてるのもったいねえ!

私は私として生まれてきたこと満喫するわよ!

最近はすこぶる心の調子が良い。心が健康なのかと聞かれたらむしろ不健康なのかもしれないけど、それでちょうどいい。それがちょうどいい。うまくバランス保ててる最近は。


じぶんもああなりたい!って背伸びしてみたり、じぶんはこいつらとは違うんだ!って足掻いてみたり、じぶんはこうなるんだ!って言い聞かせてみたり、ずっとじぶんのこと超嫌いだったけど、

自分は自分にしかなれないんだってようやく堪忍したというか、自分はそのままの自分がいちばん落ち着くんだってようやく気づけたというか。


もう時期2019年も終わってしまうけれど、今年は本当にいろんなことがあった一年だったなぁ。でも今ひとつも後悔してることなんて浮かばないし、こんなに平和な気持ちで一年の終わりを迎えようとしてるのだから、今年はとっても良い一年だったと思う。

来年もいい年になる気がする。


そう思えているなんて、心、健康かもしれない。